4.敵わない人



あの満月の日から、どうしよう、とそればかりが頭の中をぐるぐる回っていた。
どうしようと言っても、答えは一つしかない。ただ私が覚悟を決めればいい、それだけのこと。いつまでも今みたいな態度をとり続けるわけにはいかないし、こんなことではそう遠くないうちに愛想を尽かされるだろうと、分かっている。


「う゛ぉ゛ぉい、ボスが呼んでんぞぉ。仕事だぁ」
「う、うん…分かった、今行く」
談話室のソファにだらしなくもたれているところに、スクアーロが仕事の知らせを持ってきた。私はのろのろと立ち上がり、握りしめていた短刀を腰につけた。私に仕事が回ってくるのは久しぶりだ。暗殺部隊ヴァリアーの仕事は意外と少ない。
「何ぼさっとしてんだぁ?しっかりしろよぉ」
「うん、」
「生返事してんじゃねぇ」
ボスに会ったら、もう決めないといけない。それが分かっているから、あの日からそれとなくボスを避けていた。あの人がそれに気づいていないわけがない。……何て、言われるだろう。
「とにかく仕事は仕事だぁ、しっかりやれよぉ」
スクアーロの大きな手が頭をぐしゃりと撫でてくる。そうだ、スクアーロの言うとおり、仕事は仕事なんだからしっかりやらないと。私事を挟んで失敗するわけにはいかない。そんなんじゃヴァリアーの一員だなんてとてもじゃないが言えない。
「行ってくる」
「おー。無事に帰ってこいよぉ」
それは仕事からなのか、ボスからなのか……たぶん、両方なんだろうな。


ボスからは淡々と仕事内容を教えられた。ボンゴレのことをこそこそ嗅ぎ回っているヤツがいるから殺ってこい、だそうだ。わざわざヴァリアーが出るまでもないような事だけれど、たぶん見せしめにする心算なんだと思う。場所は九代目のいるボンゴレ本部付近。九代目のお膝元でスパイ活動だなんて、命知らずもいいところだ。渡されたターゲットの写真を見て人相や体格の特徴を頭に叩き込む。写真は出発前に破いて捨てていく。
「分かりました。……では、行ってきます」
仕事のことだけじゃなくて何か言わなきゃと思ったけれど何も言えず、私はボスに背を向けた。執務室を出ようと一歩踏み出そうとしたその時、後ろでガタンと椅子の倒れる音がした。それだけでもう、私は動けない。コツ、コツとブーツの音を立てながらボスが近づいてきて、私の真後ろで止まった。振り向くこともできない私は肩を掴まれ、強制的に反転させられた。
見上げるとボスの赤い瞳と目が合った。どうしようもなく魅せられる、惹かれて仕方のない、赤。
「ボ…ス、」
喉から出るのは擦れた声だけ。目も逸らせない。硬直する私の髪にボスの手が触れてきて、心臓がドクンと脈打った。その次の瞬間、ほんの一瞬、でも確かに、ボスの唇が私の唇に重ねられた。
そう理解できたのは何秒か経ってからで、それまで私は息の仕方も忘れたようだった。ボスは怒っている顔でも、呆れている顔でもなく、ただ私に視線を向けていた。
「あ、あの、」
「もう待たねぇ。逃げんな」
私の言葉を遮ってボスが言い放つ。ボスが私の子どもっぽい我侭に付き合って合わせてくれてたことは分かっている。先に進むのが怖くて、甘えてばかりで、ずるずるしてしまっていた。……私だってこのままは嫌だ。この人が私の唯一絶対の人だと、不思議な確信があるから。こんなところで終わりたくない。
「……はい」
「帰ってくるまでに覚悟決めとけ。これが最後だ」
「はい」
私が頷くと、ボスは執務室の奥の部屋に姿を消していった。その姿を見送ってから私も部屋を出て、扉の外で一度深呼吸をした。
――そして一歩、踏み出した。

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