1 京の春、絢爛の中をバスは進む。窓からの景色を眺め、は胸に懐かしさが込み上げるのを感じていた。道沿いの商店も、舞う桜の花びらも、記憶にあるままだ。小さい頃に何度も通った道は、ほとんど何も変わっていない。 流れる景色から、窓に映る自分の顔には目を移した。 ――廉造は、変わっただろうか。 今から会う幼馴染みは、どんな風になっているだろう。背はどのくらい伸びたのか、どんな声をしているのか、優しくて少しいい加減で、でも憎めない性格のままなのか。私のことを、覚えているか。 それは楽しみでもあり、不安でもあった。そしてなによりも大切なのは、廉造自身が今回の話をどう思っているか、だ。 寺の最寄りのバス停で下車し、なだらかに続く坂道を登る。最寄りとは言っても、別に近くも何ともない。泊まりがけの荷物を肩に掛けて歩くには、少し息が弾む。 「はぁ…は…この道、こんなにキツかったかな」 少し歩くと寺の屋根が見えてきて、は一気に坂を上がった。門前も飛び石の道も、掃除が行き届いていてきれいだ。門をくぐり、一呼吸置いてからは玄関の戸を叩いた。どきどきしながら待っていると、すぐに少年の低めの声が返ってきた。 「はい!どちら様や?」 がらりと音を立てて、扉が引かれた。 「……竜士?」 「……か?」 「うん。久しぶりだね」 が頷いて笑う。随分と背が延びて、身体もがっしりしているけれど、すぐに竜士だと分かった。歳相応に成長はしているが、小さい頃の面影が残っている。 「なっ、どうしたんや急に!ちょお、とりあえず上がっとれ。おかん達呼んでくるわ」 そう言うと、竜士はバタバタと奥へ駆けていった。もしかして何も聞かされていないのだろうか。はつい竜士の背をぽかんとして見送ってしまった。3秒経って、我に返って荷物を肩から下ろす。 「おじゃましまーす」 勝手知ったる何とやら、は靴を脱ぎ揃えると、竜士が行ったであろう広間へ進む。竜士の動揺した様子から、少なくとも彼や子猫丸、そして廉造には何も話されていないのだろう――大事な話なのに。いや、話してしまったら反対して逃げ出すから、女将や志摩家当主は何も話さなかったのかもしれない。 自身がこの件を打診されたときは、とても驚いたけれど、凄く嬉しくて、夢みたいだと思った。OKの返事をしたに、先方も驚いたようで、本当にいいのか何度も訊かれた。ダメ元の話をが受け入れたことで、この話は現実になったとも言える。もしが首を横に振っていれば、代わりの誰かを探すことなく話は立ち消えになっただろう。条件に合う娘は、しかいないのだから。 足音を立てないように廊下を進むの心に、不安が押し寄せる。廉造は恨むかもしれない。彼が少しも望まないなら、この事体を現実のものにした自分を、廉造は許してくれるだろうか。 この角を曲がれば広間だという所で、は足を止めて深呼吸した。 嫌われたくない……けれどこれを逃したら、きっともう機会はない。だから京都に来た。意を決し、は広間へ足を踏み入れた。 「こんにちは。お久しぶりです」 「ちゃん!よく来てくれたわねぇ。すっかり可愛らしくなって!元気だった?」 「はい!おばさんも。全然変わってなくて、嬉しいです」 竜士の母親である虎屋の女将がすぐに駆け寄ってきて、を歓迎してくれる。ちっとも変わっていない様子に、はひとまず安堵を覚えた。 「ちょお待っとってな、竜士が八百造さん達呼びに行っとるから。あっ、荷物適当に置いてな」 「はい。あの、おばさん、今日の話……まだしてないんですか?」 部屋の角に荷物を下ろしながら、は訪ねた。すると女将は苦笑して、そうなのよと答えた。 「相手がちゃんだけど、分からなくてねぇ。今日まで黙っとくことにしたんや」 「やっぱり……」 また、どうしようという気持ちが胸に込み上げてくる。不安な気持ちを隠せていない表情に女将が気づき、大丈夫よとを励ます。 そこに、廊下からどたどたと足音が聞こえてきた。 「来てはるって!?」 駆け込んできた少年を見て、は一瞬時が止まったような感覚に襲われた。 「廉造……」 「ほんにや!なんや、かいらしなったなぁ!」 駆け寄ってぎゅっと両手を握りながらそんなことを言う廉造に、は赤くなって言葉に迷ってしまう。幼稚園のころから、廉造には誰彼かまわず女の子を褒めるところがあったが、それは健在らしい。廉造の言葉に深い意味はないのだと分かっていても、には特別な言葉だった。 「廉造、変わってないね。よかった」 「そんなことないって、カッコよくなったやろ?」 冗談を言う廉造に、は笑ってこくんと頷いた。お世辞ではなく、には本当にそう思えた。 「すまん遅なった!ちゃん、よう来てくれはったな。迎えに行けんで、堪忍な」 志摩家当主の八百造、それに次男の柔造、四男の金造が入ってきた。その後ろに、竜士と子猫丸が続く。 みんなが集まりを囲み、廉造の手が離れた。 「お久しぶりです、さん」 「おっきくなったなぁ、ももう高校生か」 「遊び来たんか?」 「久しぶり。みんな元気そうでよかった!」 このまま雑談に突入してしまいそうな様子を、女将が両手を鳴らして止めた。女将が八百造に目配せし、場の主導権が八百造に渡る。 「そうやったな。とりあえず、皆座りぃ」 八百造に従い、円座になって座る。は八百造の隣に腰を下ろし、足を揃えて正座した。廉造は、丁度の正面に座っている。咳払いを一つして話を切り替える八百造に、集まった一同はただが遊びに来た訳ではないと悟った。 「さて、早速だが本題に入る。ちゃんが来てくれはったんは、ただ遊びに来たんとはちゃう。俺が呼んだんや。――廉造!」 「へっ、俺?」 思いがけず名前を呼ばれ、廉造は間抜けな声を上げた。同時にも背筋が延びた。は無意識に、両手を固く握っていた。 「おまえの許嫁や」 廉造だけでなく、竜士や子猫丸、兄たちまでもが全く予想外だった八百造の言葉に固まった。誰もが言葉を失い、各々、頭の中で『許嫁』という言葉を反芻しているようだった。 最初に口を開いたのは、当事者の廉造だった。 「い、許嫁って……婚約者っちゅーことやよな?」 「そや」 「誰が、誰の?」 「ちゃんが、廉造のや」 廉造が八百造からにぎこちなく視線を移す。目が合って、は頷いた。 「えぇええー!?」 廉造の叫びが寺中にこだました。 |
NEXT |
TOP |
121107