グッバイホーム



綱吉たちがイタリアに行ってしまうのを知ったのは、出発まであと1週間を切る日だった。京子ちゃんから聞いて、私が知らないと言ったら彼女はとても驚いていた。本人たちからそのことを知らされなかったのもショックだったけど、気づけなかった自分が信じられなかった。あれだけしょっちゅう顔を合わせておいて、分からないなんて。ボンゴレ10代目になってから何年か経っているけどずっと日本にいたし、これからもそうなんだろうと勝手に思いこんでいた。なんでそんなこと思っていたんだろう、いつ何がどう変わるかなんて、誰も分かりはしないのに。変わらないことなんて、何一つありはしないのだ。


翌日、いつものようにアジトを訪ねた。並盛町にあるこのアジトはボンゴレ日本支部本部だと以前教えてもらったことがある。
綱吉がいるであろう執務室へ行くまでの間、談話室や食堂、トレーニングルームなどを覗いてみた。心なしかいつもより片づいている気がするのは気のせいだろうか。すれ違う人の数も少ないし、置いてあった物がなくなっているような気がする。それで本当にイタリアに移ってしまうんだな、と私はぼんやり思った。
昨日、京子ちゃんに話を聞いてからずっと考えていた。来週イタリアに発つ彼らを空港で見送って、それでおしまいでいいのかを。
こうしてアジトに毎日のように来るのが習慣で、漠然とずっとこの日々が続くと信じていた。だから、こうするようになった理由を直視して来なかった。もちろん忘れていたわけじゃないけれど、好き、とその一言を口にするのが怖かったから、向き合ってこなかった。今までずっと何でもない素振りで来たし、そう言ったら綱吉はどんな顔をするか想像すると言い出せなかった。それに綱吉の理想の人は京子ちゃんみたいな人だし、私達はただの気の合う友達でしかなく、私のことを特別に思ってくれているなんて、きっとあり得ない。
今まではこうして会えなくなるのが怖くて告白できなかったけれど、彼がイタリアに渡るならどの道会えなくなってしまう。それなら、好きって言った方がきっと、いい。もしかしたらもう一生会えないかもしれないのに、何も言わないまま別れて後悔するのは嫌だ。
だから、伝えようと思う――『好き』って。


一大決心してここまで来たとのに、いざ扉の前に立つとなかなか一歩を踏み出せない。
執務室のドアは半開きになっているから、今は忙しくないんだと思う。誰もいないみたいだしチャンスだ、がんばれ私。とりあえずノックすればいいんだよ、と手を出したり引っ込めたりしていると、ドアの内側から名前を呼ばれた。
?何してるの?」
「な……なんでもない!えぇと、遊びに来たの!」
ビックリした。ビックリしすぎて心臓がどこどこいっている。そんな私を見て綱吉はくすくす笑った。彼はいつもと変わらない。何にもないふりをして私に黙ってイタリアに行くつもりなんだと思うと、胸が痛んだ。


私は定位置になっている白いソファに座った。ローテーブルを挟んだ向かいの席に綱吉が腰掛けるのがお決まりのパターンだ。
執務室はやっぱり片づいていて、いつも机の上にあったファイルはないし、コーヒーカップは彼のお気に入りのやつではなく初めて見る柄だった。
「いつもと違うやつだね」
「あぁ、あれ、別のところにしまっちゃって」
「今日、静かだよね。みんないないの?」
「ちょっと面倒な仕事が入っちゃったから、獄寺くんたちに頼んだんだ」
「……どこまで行ったの?」
綱吉は一瞬考えてから答えた。
「遠くだよ。飛行機で行ってる」
カップの行き先も獄寺くんたちの行き先も、イタリアに違いない。遠くだよってそんな子供だましな言い方をしなくたっていいのに。知ってること、言っちゃおうと思う。今日はその話をしに来たのだから。
「昨日、京子ちゃんに会ったの。最近駅前にできた新しいカフェで、最近どうしてるかとか大学のこととか話してんだけど、そのうちにボンゴレのみんなの話になって、聞いちゃった」
綱吉は黙っている。綱吉の表情は穏やかなままで、何を考えているのか分からない。
「イタリアに引っ越すんでしょう?聞いたよ」
「そっか、聞いたんだ……そうなんだ、イタリアに行かなきゃ行けなくなっちゃってさ。来週発つんだ」
聞くと綱吉はあっさり肯定した。少しだけ、実は嘘だったんだ、と言ってくれるのを期待していたけれど、そんな都合のいいことは起きなかった。それなら本当に、もう今言うしかない。今言わなかったらきっと、もう言えないから。
「やっぱり本当なんだね。ちょっとだけ、嘘ならいいなって思ってたんだけど。……聞いて欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「うん」
綱吉の目がまっすぐ自分に向けられた。どくんと心臓が脈打つのが分かる。怖いけど、私は自分を励ますようにぎゅっと手を握り締めて唇を動かした。
「イタリアに行っちゃう前にどうしても言いたいことがあるの。もしかしたらもう会えないかもしれないから、言わなくちゃって思って。驚かないで聞いてね。あのね、私、綱吉が……好きなの、ずっと」
ずっとずっと隠してきた気持ちだけど、口にするのは一瞬だった。きっかけが何だったのか、いつから好きだったのか、もうはっきりと思い出せない。やっと言えたという気持ちと、とうとう言ってしまったという気持ちが混ざって胸の中で渦を巻いている。まだ何秒も経っていないのに、頭が働かなくて時間が長く感じる。
お願いだから、ごめんでも何でもいいから早く何か言って欲しい。
にイタリアに引っ越すって言わなかったのは、理由があったんだ」
綱吉の口から出てきたのは『ごめん』でも『ありがとう』でもなかった。淡々と彼の話は続く。
「賭けてたんだ。もし、が告白してくれたら伝えようって」
「……何を?」
私が告白したらイタリアに引っ越すことを言ってくれるつもりだった、っていうこと?どうしてそんなことをするの?告白してくれたらって?言っている意味がよく理解できていない私に、綱吉は言った。
にお願いがあるんだ。俺と一緒にイタリアに来てくれないか?」
この人は何を言っているんだろう。都合の良い空耳だったのかもしれない。一緒にイタリアにって、そんなことってあるのかな?
「一緒にイタリアに来て欲しいんだ。俺ものことが好きだから、一緒にいたいんだ」
「嘘…じゃない、よね?」
「本当だよ、ずっと好きだったんだ」
その言葉を聞いて、息が詰まるかと思った。嬉しすぎて一瞬泣いてしまいそうになる。
「来てくれる?」
「――はい」
こくりと頷いた。迷いはなかった。綱吉が一緒なら、きっとどこに行ってもやっていける。一緒にいたいと言ってくれたように、私も彼と一緒にいたかった。
……たぶん、綱吉は私の気持ちを知っていたんだろうな、と思う。イタリア行きを黙っていたのは、もしかしたら私から告白させるつもりだったのかもしれない。そうだとしても、別に構わない。だって、今こうして幸せなのだから。もし違う展開になっていたら、こうはならなかったのだから。


それからの一週間はあわただしく過ぎていった。とりあえず必要な物だけをスーツケースに押し込んだり、色んな手続きをしたりしながらも、出来る限り並盛町の色んな場所を回った。中学校、高校、よく行った公園、お気に入りのパン屋さん、みんなで遊んだ河川敷。この町とはしばらくお別れだから、寂しくなったりしないように。
出発の今日、並盛町の空は青く青く晴れていた。空の向こうには新しい日々が待っている。

101118