これまでも、これからも


金造はいつものように颯爽と京都出張所に出所してきた。雲一つない青空に暖かい風が吹き、気分も晴れやかに鼻唄を歌っていると、幼馴染みの名前が耳に入ってきて思わず足を止めた。
「――せやから、のやつ東京に行くんやて」
「そうなんか。さびしなぁ」
が東京に行く?
「……そんなん、俺は聞いとらん」
京都出張所にの姓はだけだから、人違いではない。なんでか頭がぼんやりして、うまく考えが巡らない。 晴れやかな気分は一変し、頭の中を何でという疑問が占めた。何で京都を出ていってしまうのか、何で自分に教えてくれないのか。
、」
金造の足は自然と幼馴染みを探して動き出した。


出所したら、まず名札を裏返しにするのが決まりだ。金造は全員の名簿が掛けてある事務所に向かって、が出所しているのかを確かめた。
は?」
「まだ来とらんよ。珍しいな」
始業までもう後数分という時間に、がいなかったことは今まで一度もない。
「金造さんも、もう行かへんと遅刻にされてまうで」
「お、せやな……」
正直、が気にかかって仕事なんて気分ではなかった。 しかし、勢いで出張所を飛び出してしまうのは憚られた。金造にとって、無断欠勤を怒られるくらいはどうということはないが、胸のもやもやが彼の勢いを殺した。
遅れれば、また八百蔵にあきれられてしまう。
金造は自分の部署へ向かうと、ぼんやりと午前の業務にあたった。


心此所に在らずといった様子で午前を終えた金造の肩を、柔造が叩いた。 いつも元気が有り余っていて余計なことまでするような弟が落ち込んでいるのは、どう考えたって何かあったに決まっている。
「どないしたんや金造」
「なんや柔兄か……」
「なんやとはなんや。何かあったんか?元気ないな」
柔造の問いに、金造は答えない。初めて見せる表情に、柔造はどうしたものか図りかねた。
「なぁ柔兄、今日に会うたか?」
ならさっき裏行くの見たで。なんや片付けしとったわ」
「片付けって、」
もしかして、出張所を出ていく準備なのではないか。何も残さず、誰にも言わずにある日突然出ていってしまうのではないか。 明日にでもがいなくなってしまうような気がして、金造は今すぐに会わないといけない衝動に駆られた。
「……アカン」
「え?おいどこ行くんや。昼終わってまうで」
引き留める柔造に構わず、金造は走り去る。人にぶつかりそうになりながら、金造は外に飛び出していった。
「もしかして金造のやつ……まぁ丁度ええか」
残された柔造は一人ごち、昼食を取るべく食堂へ入った。


金造は、出張所の裏にあるゴミ捨て場を全力疾走で目指した。勢いを落とさず角を曲がろうとして、向かいら来た人影に気づくとあわてて急ブレーキを踏んだ。
「わっ金造!もう、ビックリさせないでよ」
、」
普段と何も変わらないを見て、金造は胸が締め付けられるような気がした。
「金造?どうしたの?何かあったの?」
息を切らせ、切実そうな表情で立ちすくむ金造に、は悪い報せかと不安になる。
「何かて、それはこっちのセリフや。、東京に行くん?」
「え……行くけど、何で?」
てっきり出張所で何かあったのかと思ったは悪い知らせではないことにほっとし、次いで金造の様子に戸惑った。どうしてそれで金造が思い詰めるのか。 こんな金造を見るのは初めてで、はどうしていいのか分からなかった。
「金造、戻ろう?お昼食べ損ねちゃうよ……、金造?」
金造の腕を取ろうとして、逆に手を掴まれる。
、行かんといて」
「行くなって……東京に?」
金造は頷き、を抱き寄せる。は何も言えず、されるがままになる。ずっと一緒にいたけれど、初めてのことだった。
「このまま俺と京都で暮らせばええやん」
「それって――」
背中に回された腕に、さらに力が込められる。少し痛いくらいだったが、は抵抗せず、金造を抱きしめ返した。
金造は、自分が東京に行ったきりもう帰ってこないと思っているのだとは理解した。自分を必死に留めようとする、金造の気持ちをはそっと受け止めた。
ただ、彼は勘違いをしている。金造の胸に顔を埋めたまま、はくすりと笑った。
「あのね、金造。……東京に行くのは、2週間くらいだから、ちゃんと帰ってくるよ」
「は!?」
きっと誰かが話していたのを中途半端に聞いていたのだろう。が東京に行くのは、母親が入院すると聞いたからだ。 母の見舞いと、一人になる父の面倒を見るために行くだけだから、母親が戻る2週間後にはも京都に帰ってくる予定だった。
「今朝遅かったんは」
「ちょっとお母さんに電話してたら遅くなっちゃった」
「片付けとったんは」
「うちのリーダーの気まぐれ。私のところ人数少ないから、まとめて捨ててきたの」
「なんや……そうやったんか」
「うん、だから安心して」
ガクッと金造が脱力するのが分かる。体重がかかって少し重たいのを、は黙って支えた。 一緒にいるのが当たり前で、離れるなんて考えたこともないと、金造が全身で伝えてくれているのが嬉しかった。
「ね、金造。さっきの、プロポーズみたいだったね」
きっと言った本人は分かっていない。自覚したら何て言ってくれるのかが知りたくて、から切り出した。
「……せやな。俺、が好きや」
金造は一瞬固まって、それからいつもの笑顔で答えた。やっぱり、言われて初めて自覚したらしい。が思わず笑うと、金造は拗ねたような顔をした。
「笑うな!やって俺のこと好きやろ?」
自分の気持ちは分かっていなかったのに、が好いていてくれていることは微塵も疑っていなかったようだ。それがまたおかしくて、はまた笑って応えた。
「うん、好きだよ」
「ほんじゃあ、」
金造が言葉を切る。は、微笑んで返事を告げた。
「ずっと一緒にいるよ――大好きよ、金造」

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