解けたジレンマ 「、おまえの所為だぞ。謝ってこいよ」 「嫌」 皆が口々にそう言ったけれど、私はツンと突っぱねた。確かにキッドの機嫌が悪いのは皆の言う通り私の所為だから、私が謝ればキッドは機嫌を直してくれるだろう。それでも私は謝りに行きたくなかった。 「どうしてあんなことした?」 ふくれっ面をした私をのぞき込むようにして、キラーが聞いてくる。 キラーの言う『あんなこと』とは不機嫌の原因で、具体的には私がさっきキッドを引っ叩いたことだ。私だって、悪いことをしたって思っている。けれどあれは、仕方がなかったのだ。 「、」 理由を言わず黙ったままでいたら、キラーが催促するように名前を呼んだ。言いたくないと訴えても、キラーはそれを許してくれそうにない。キッドの機嫌が船の空気を左右するのだから、不機嫌の原因をキラーが放っといてくれるわけがなかった。 私とキラーを残して、他のクルーは食堂を出ていってしまった。妙な緊張感が部屋を支配している。 何か適当に理由を繕おうと思ってもそれらしい話を考えられなくて、上手く話を切り出せない。暫く沈黙が続いた。キラーの表情は分からないけれど、彼は私から顔を逸らしてくれない。私は何て切り出そうか、頭の中でぐるぐる考えを巡らせる。 嘘の理由をでっち上げるにしても、さっきの私とキッドのやりとりをキラーはいつから見ていたのか分からない。 甲板で、私はキッドと二人で話していた。なんてことはない他愛のない話をしていたら、突然キッドが髪を撫でてきて、私は『マズい』と思った。髪を梳いていた手が頬に触れ、そのまま顎に掛けられた。それからキッドの顔が近づいてきて、私は思わずキッドの頬を引っ叩いた。つまりあれは、キスを回避する為の行動だったのだ。 「はキッドが好きなのではなかったのか?」 「見てたんだ」 「偶然だ」 どうやらキラーは私たちのやりとりを全て見ていたらしい。それに、私の気持ちにも気がついていたみたいだ。上手く隠せているつもりだったんだけど、そんなことはなかったらしい。自分で思ってた以上に、私は嘘が苦手みたいだ。 それなら、もうキラーには本当のことを話すしかない。適当にはぐらかそうとしたって、きっとキラーにはすぐに分かってしまう。嘘の理由を考えるのは止めだ。 「……キッドのことは、好きだよ」 深く息を吸い込んで、一呼吸おいてから、ぽつりと答えた。今まで誰にも言ったことのなかったし、キラーが見ていなければこの先も言わないつもりだった。たとえキッドが、私を好きだって言ってくれたとしても。 「なら何故拒んだ?」 「特別になるのが嫌だから。キッドの足を引っ張るようなことはしたくない」 キッドは強い。ルーキーの中でも一、二を争う強さだし、実際にその実力を私も見てきた。対して私は賞金首でも何でもない、どちらかと言えば戦闘は苦手なただの平船員だ。たった一回のキスで、私とキッドがどうこうなると決まっているわけではないけれど、もし船長と船員以上に関係になってしまったら、そんな私ではキッドのお荷物になってしまうのが目に見える。世間では極悪非道だと言われていても仲間は大切にする人だから、自分の恋人に危機が迫るなんてことがあれば、何を差し置いてもキッドは助けてくれるだろう。そんな後ろを気にしながら進むようなことを、キッドにさせたくはなかった。 一度でも唇を重ねてしまえば、もっと触れたくなる。ただの仲間として振舞えなくなる。特別に、なりたくなる。 だからあの時、キッドを引っ叩いた。キッドは凄く驚いた顔をして、それから今まで見たことのない表情で、『なんでだよ!』と声を荒げた。その表情と声がまだ頭に張り付いていて、胸がずきずき痛む。 「私は強くないから、キッドの邪魔になるよ」 「、」 「悪いけど、ちょっと放っといて…。後でちゃんと、キッドのところ、行くから」 特別になりたくなくて、自分がやったことなのに、泣きそうになる。涙を堪えられなくて視界が歪む。そんな顔を見られたくなくて、テーブルに突っ伏した。でもこれじゃあ、泣いてますって言っているようなものだ。 「放っとかねーよ」 聞こえてきた声はキラーのものではなくキッドのもので、思わず顔を上げてしまった。派手な赤い髪とコートが視界に入る。紛れもないキッド本人がそこにいた。 「キッド!いつから……」 「『特別になるのが嫌』から」 キッドはキラーに目配せして退散を促す。キラーは言われなくてもそうする心算だったらしく、すっと立ち上がり私に一瞥をくれると食堂を出て行った。もしかして、全部二人の策略だったのではないかと思うような連携っぷりだ。 キッドと二人残された私は、キッドの顔を見れずにまた下を向いた。泣き顔を見られたくないし、キッドを引っ叩いた理由を知られてしまったのが恥ずかしい。それに、あれは恥ずかしいだけでなく、酷く傲慢な理由だ。 「コラ、こっち向け」 キッドは言いながら私の頭を両手で掴むと、強制的に上を向かせた。キッドの視線が私を捉え、目が離せなくなる。 「泣くくらいなら、あんなことすんな」 「泣いて、ない」 つい、見ただけですぐにバレる嘘が口からこぼれた。キッドは呆れ顔で、燃えるような赤髪をかきむしった。 「大体なァ、おまえはおれが女一人守れないような奴だと思ってんのか?それにおまえが俺の船に乗ってる限り、おまえが嫌だっつっても俺はおまえを守んだよ」 「キッドの足、引っ張りたくない…」 「無理だな」 足を引っ張りたくなければおれより強くなるんだな、とキッドは豪快に笑った。そんな日なんか来るわけがない。ルーキーの中でも一番の賞金首に敵う日なんて、何年経ってもどう足掻いても来ない。 キッドがあんまり笑うから、私は段々悔しくなってきて、泣いているのが馬鹿らしくなってきた。 「キッドの馬鹿!」 キッドの胸を両手を拳骨にして力任せに叩いても、キッドはびくともしない。キッドは片手で私の両手を押さえ込み、もう片方の手で頭を小突いてきた。 「っつーかな、の面倒見るのなんか苦労でもなんでもねぇんだよ。余計な心配してヒトのこと引っ叩いてんじゃねぇ」 「……うん」 キッドの言葉はまっすぐで、私が臆病だっただけで私たちの関係がどうなろうとキッドの行動も心も変わらないのだと思い知らされた。私はただキッドを信じて、自分にできる精一杯のことをして航海を続ければいい。 「今度は引っ叩くなよ、」 濡れた目元が黒いマニキュアが施された指で拭われて、キッドの顔が近づいてくる。唇にそっと触れる熱を感じて、私はキッドの背中にぎゅっと腕を回した。 |
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