05 さみしさに君の襲来



イタリアに渡って1週間が過ぎた。
9代目から引き継いだ屋敷は広いが、自分の寝室と書斎、それに訓練場と食堂くらいしか使っていない。引継ぎ式を終えてからはとにかく引継ぎの事務処理ばかりで書斎に篭もっているから、まだ広い邸内の全てを見て回れていなかった。
食事と少しの休憩時間以外は書斎に篭って机に向かっている俺に、「少し休んだほうがいいですよ」と獄寺君は顔をしかめていた。心配してくれるのは有り難いけれど、今は何かをやり続けている方がよくて俺は曖昧に頷いた。集中していれば時間なんてすぐに過ぎて行く。一日一日をそうやって過ごしていけばそのうち諦めがつくと――を日本に残して来たのは仕方ないことだったのだと、自分に思い込ませるためにも忙殺されていたかった。

コン、と扉がノックされた。
俺が返事をするよりも早くドアノブを回して入ってきたのは深刻そうな顔をした獄寺くんだった。
「10代目!お願いですから少し休んでください。あまり根を詰めるのも身体に毒です」
「え、いやでも……まだやることあるし、」
獄寺君は「大丈夫だよ」と続けようとした俺の手から万年筆を奪い取り、机上に散乱している書類をかき集めて俺から取り上げた。強制的に仕事を奪われて内心困惑してしまった。
「気分転換に散歩でもしてみたらどうですか。天気がいいから庭に出てみるのもいいですよ」
「……あぁ、そうするよ」
獄寺君が有無を言わせない目で見つめてくるから、どうしようもなくて俺は重い腰を上げた。

空は青く晴れていて、爽やかな風が吹いている。庭の草木は青く茂り、鮮やかな花を咲かせていた。
今の自分の気持ちとはまるで正反対だ。そう思いながら庭を散策する。想像していたよりも広い庭は、よく手入れが行き届いていることが分かるものだった。
のろのろと歩みを進めていると、ふと白い花が目に留まった。白く可愛らしい花。いつだったか、が好きだと言っていた花だった。
「……、」
ぽつりと名前が零れた。
俺と一緒にイタリアに渡って危険な目に合わないように、命を狙われたりしないように、別れを告げたのに。
こんなに寂しいなんて、会いたいと思ってしまうなんて。
「君がいないと俺、ダメなのか」
気づくのが遅いな――相変わらずの自分のダメさ加減に呆れて、自嘲気味に笑った。
「綱吉、」
名前を呼ばれた気がした。の声が聞こえるなんて、幻聴だろうか?獄寺君の言うとおり、疲れていたんだろうか。
「もう、綱吉ってば。せっかく遥々日本からあなたを追って来たのに、無視するの?」
また透き通るような声が聞こえて後ろを振り返ると、髪を風に靡かせてが微笑んでいた。がここにいるなんて自分の都合のいい夢のような気がして呆然としてしまう。
何でがここにいるんだ?
「ちょっと綱吉ったら大丈夫?起きてる?あ、もしかして夢かもしれないって思ってるんでしょ。それなら証明してあげる、夢じゃないって」
頬に少しひんやりとした指先が触れて、思いっきり抓られた。細い指に力が加えられ、頬を歪められる。
「いてっ」
「これで分かったでしょう?」
「う、うん」
容赦なく抓られた頬を押さえながら頷くと、はにっこりと笑顔を浮かべた。目の前にいるのは夢でも幻でもない、本当のだった。
「この前、綱吉は『別れるのはの為なんだよ』って言ってたけど、勝手だよ。私はずっと、何があっても綱吉について行くって決めてたんだよ。そばにいて、綱吉の役に立ちたいんだよ」
「それは、俺はには安全なところで暮らして欲しくて言ったんだ。……そんなこと言うなら、だって勝手だよ」
本当に、には安全な日本で幸せに暮らして欲しいと思っていた。俺の言ったことは確かにの気持ちは考えてなかったかもしれない。でもそれはの言い分にも言えることで、俺もも、もしかしたらどちらも自分勝手なのかも知れない。
「この1週間、私は凄く辛かった。寂しくてどうしようもなかった。会いたかった。綱吉は?綱吉はそうじゃなかったの?」
そうじゃなかったわけない。いつも笑いかけてくれた顔を見れないのは辛かったし、自分を誤魔化していないとダメだった。それにさっき白い花を見て、今の声を聞いて分かったんだ。
「俺だって、がいないとダメなんだ。ごめん、今やっと分かったんだ。俺が別れてくれって言ったのに、勝手だって思うけど――傍にいて欲しい」
ぎゅっとを抱き寄せる。すると彼女は応えるように俺の背に手を回してくれた。
「いるよ、ずっと隣に。もう『別れてくれ』なんて言ったって無駄なんだからね……」
「そんなこと、もう絶対言わないよ」
やっぱり俺たちはお互いがいないとダメなんだって分かったんだから。

もう離れない。

101030